PERFECT DAYS

先日、賀茂医療センター勤務時に公私ともにたいへんお世話になった恩師・岩崎先生と定例の会食をした際に、本作を先生が福山市の映画館まで出向き、素晴らしさのあまり二度も観られたという事実に刺激され、急遽まだ上映していた広島市内至宝の映画館「サロンシネマ」にて鑑賞してきました。

 

ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演という興味深い組み合わせです。ヴィム・ヴェンダース監督といえば、まだわたしが20代の頃ベルリンの壁の崩壊直前であった1980年代に「ベルリン・天使の詩」という詩情あふれる大傑作(刑事コロンボでおなじみのピーター・フォークの主演でした)により大きな影響を受けた監督です。

 

その後も「ベルリン」の続編である「時の翼に乗って」、U2による主題歌が印象に残る「アンティル・ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」、カリブ海に浮かぶキューバ音楽紹介の先駆けとなった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」・・、どの作品も音楽と映像の素敵な融合を果たし、スタイリッシュでありながら詩情あふれる作品にわたし自身もその都度強い衝撃と影響を受けてきました。しかし最近はなかなか新作を観ることがなく、寂しい限りでした。

 

この度、監督の大好きな日本を舞台に「TOKYO TOILET」( 有名建築家による東京に現存するデザイントイレです )をテーマに新作を撮り、主演の役所さんがカンヌ国際映画祭( 映画に対する愛とともに作品に対して最も偏向少なくまっとうな評価をする映画祭ですよね )において主演男優賞をとられたという情報を得ていたものの地元東広島の映画館においての上映はなく、日々の忙しさにかまけてほぼ本作の存在を失念していたところに、岩崎先生からの貴重なお話を聞かせていただき、それに触発されて急遽の修行となったのにもなんだか不思議な縁を感じました。

 

監督らしく、小津安二郎監督ばりの静かで低い視点から映された東京の風景( スカイツリーという最先端建築の近くに佇む隅田川を中心とした下町風景のコントラストが美しいです )と、齢60を軽く超え70に近づいているであろう初老の男性「平山」( 小津監督作品での笠智衆さんの役名と同一名というのが渋いです )のトイレ掃除を中心とした淡々としたルーティンワークに、60年代から70年代のロックやR&Bミュージックが重なりますが、この視点からの映像とともに画面から流れ出てくる音楽の融合がさすがでいろいろなことを想起させてもらいました。

 

まず冒頭一曲めのアニマルズ「朝日の当たる家」から心揺さぶる楽曲が平山の日常の風景に重なります。 これが文句なくかっこよくて観ている側のこころは否応なしに高鳴ります。 そしてアニマルズに続いて、オーティス・レディングの「ドックオブザベイ」、さらにパティ・スミス、ルー・リード、キンクス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、金延幸子さんらの名曲たち( キンクスとヴェルヴェッツについては今でもよく車の運転中などに聴いています )が日が変わるたびに平山の気分の変化を表すように遷り変りますが、これらの楽曲すべて、おそらく60年および70年代を生きた団塊世代である平山が若きころに魂を揺さぶられたものばかりであることは容易に想像でき、それらをいまも颯爽と流しながら自分のすべき仕事に向かうその背中には潔さを感じるとともに若き頃に陶酔したこころの引っ掛かり( 岩崎先生も参加されなんと広大の総長までしていたという全共闘運動をはじめとした学生運動盛んな時代でもあります )があり、その後こだわりの塊となっていき、それが今この瞬間まで続いているんだということをうかがわせる構成でした。

 

そうしたソウル&ロックミュージックを毎朝軽自動車のなかで、しかもカセットテープ(アナログ)で必ずかける。その日の天候や気分に合わせてカセットは変わるものの、いずれも古い当時の生活や魂を惹起させるものばかり・・・。そして淡々とするべき仕事をする。

 

毎日儀式のように早朝誰もまだ起きていない時間帯から動き出し、同じような動作と同じようなリズムで淡々と仕事をこなしていく平山。 休憩時間はフィルムのカメラ(アナログカメラ)で好きな公園で昼のサンドウィッチを食べながら季節とともに移ろいゆく木漏れ日の写真を日々撮影する。風呂は地元の銭湯の一番風呂。夕食はいつもの定食屋でいつものメニュー。家に帰れば、テレビもなく好きな本を読み眠りにつきまた仕事の朝を迎える。

 

なぜ平山がこんな美しくも簡素な生活に至ったかの説明はまったくされませんが、彼の好む音楽が雄弁に過去に存在していたであろう想い、葛藤、こだわりを語るような映画でした。

 

わたしが勝手に想像したのは例えばこんな感じです。 ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのボーカルでもあるルー・リード。グループ時代の曲もソロ時代のものも両方流れていましたが、ルー・リード自身、父親との強く衝撃的な確執・葛藤(父親から電気ショック療法を強制されたという体験まであり)があり、それらの葛藤から音楽の道にのめりこんでいった事実はよく知られており、こうしたルー・リードの曲をあえてフューチャーしているということは、もしや平山もルー・リードのように若き頃父親との強い確執で家を飛び出し、なんらかの表現活動に関わっていたのでは?とか・・・ パティ・スミスは、社会的不条理を真っ向にらみつつ闘争を個性的に続けていくという魂の燃焼が象徴的なアーティストでしたが、平山もそうした闘争スピリットを取り込んでいきながらそれらを昇華させていくさまざまな長い過程を経て、つらく困難な時代を生き抜き社会奉仕的作業を含む、悟りのような簡素な生活に辿り着いた・・・というのは考えすぎであることはわかっているものの、そうした妄想的物語さえ本作に重ねている自分がいまいました

 

いずれにせよ当時の音楽に込められたスピリットを胸に秘め淡々と生活していく姿に、観る者は自分の生活を重ね合わせざるを得なくなります。 わたしにしてもそうで、平山とは異なる職業に就く身ながら、その仕事を一途に極めていくことの重要性をあらためて感じさせられました。

 

ここまでどちらかというと劇中音楽のことを中心に気ままに徒然に語りましたが、実はわたしのこころに一番突き刺さったテーマは次のことでした。

 

『 われわれは今日この日、この瞬間つまり「いま」しか生きられないのだから、そのかけがえのない今日「いま」を懸命に大事に慈しみながら営んでいくんだよ 』というメッセージ。 平山の日々の静かなルーティンワークから上記メッセージがこぼれ落ちていました。 ヴィム監督、主演の役所さん、またそれぞれの登場人物たちから、理屈抜きにこれらを感じざるを得ず、メッセージを、本作の鑑賞体験を通して確かに受け取ったような気がしました。 

 

鑑賞後には『 これから自分も自分の居続ける場所で、人々や社会に僅かなりとも他者貢献( 本作の平山ならトイレ掃除 )を実行しながらしっかり貴重な「いま」を営んでいこう 』という想いとともに作品から勇気と元気をいただいたような気がし、映画の最も良質な部分を感じたりしました。

 

このように本作はある種の因縁とともに、ときに忘れかけるかけがえのないものを思い出させてくれる作品でした。 さすが映像と音楽の詩人、ヴィム・ヴェンダース監督の作品でした。 機会があればもう一度観たい作品となりました。みなさんもお近くの映画館に本作が来ましたらぜひぜひ鑑賞してくださいませ。