令和5年5月27日(土)の夜に懐かしい人たちと再会し、離れていた年月を乗り越えてそれぞれが歩んできた営みの道のりをささやかにお祝いしました。
4月のブログでも書きましたように、四季の心クリニックが10周年を迎えたこともそれはそれでめでたいのですが、そんなことよりも初代薬局長の小西くんが努力奮闘の末、この春に某公立医科大学を卒業し、医師国家試験にも見事合格し、医者という生業の入り口にたったのですから、お祝いしないわけにはいきませんでした。実はちょこまかと内輪のお祝い会などはすでにやっていたのですが、この小西くんを迎えるお祝い会が終わらないとわたしもクリニックも先へは進めないぐらいに感じていたほどです。
そして待ったこの日、この春からわが故郷である愛知県において研修医を頑張っている小西くんは、なんと前夜に当直をこなした後に新幹線で東広島まで遠路来てくれました。加えて、当時小西くんの上司であった竹村さんも忙しいなか福岡から駆けつけてくれました。もちろんわたしが東広島駅までの送迎をしたのですが、少し時間があったので車中談笑しながら懐かしい東広島の街をアテンドしてみました。わたしも来訪初めてである昨年秋にオープンした「道の駅のんたの酒蔵」を通り過ぎたり、新しくできた「ゆめモール」にも寄ったりしました。
その後ついに午後7時から西条駅前の焼き鳥屋さんにて宴は開かれたのですが、小西くんのいつもと変わらない優しい物腰と笑顔、竹村さんの寛いだ表情、スタッフの華やいだ笑顔の数々やつっこみ、小西くんへのお祝い物の贈呈などなど印象的でもうこの先二度と訪れないかもしれないという貴重な時間が過ぎ、お酒が進むにつれてわたしの脳髄は心地よい酔いとともに嬉しさと懐かしさも混ざり合い、ゆらゆらと揺れながら夢のなかで踊り続けるような状態になっていました。
それでも楽しい時間というのはあっという間とはよく言ったもので、いろいろな話に花が咲いたり、驚いたり笑い合ったりした結果、夜7時に始まった集いは気づけば11時30分をゆうに回っているという時刻になりやっと一次会はお開きとなり、有志(もちろん小西くんと竹村さんも)と二次会の西条駅前岡町の「Bar enishi」へと移りここでも熱い会話を閉店まで交わしつつ、気づけばわたしが帰宅したのは朝の3時前でした。コロナの影響もありここ3年すっかりなかった活動時間帯であり、わたしの心身活動限界(?)はとうに限界を過ぎていましたが、特別の日であり気持ちでなんとか乗り切ることができました。
談笑のなかで、医者になることを考え始めた時期、その決断に至った経緯や現在の心境、今後の展望などいろいろ熱く聞かせてもらいましたが、10年前にお互いに初の院長、初の薬局長として役割を担い初々しく出会ったときとほとんど変わらないはにかむような笑顔や相手を思いやる丁寧な振る舞いは医者になった今もほとんど何も変わっておらず、わたしのお酒に浸されたこころにもしみじみと浸透してくるような彼の表現は健在でした。
わたしにしても自分が医者を目指し広島の地に来訪したときのことに想いを馳せながら、楽しく寛ぎながら彼の医者にたどり着くまでの旅の話を心地よく聞かせてもらい、もうこれ以上の幸いな出来事はあるかというほどでした。これから先のことは誰にもわからないけれど、場所は離れていてもともに歩みを進めていきたいものだと酔っ払いながら思いを新たにさせてもらいました。
また彼の上司であった竹村さんも「そうごうメディカル」という大会社のなかで、さまざまなストレスを感じながらも元気に精一杯やっていることもうれしかったです。何よりも忙しいなかかつて部下だった小西くんのお祝いの会に九州から駆けつけてくださり、本当にありがたかったです。いつか小西くんともどもこのお返しは何かの形でする決意でいます。
もちろんクリニックのスタッフも開業時の5人のうち4人が10年たった現在もいまだに健在であり、新たにこの10年の間に加わったスタッフも元気で明るく前向き率直なスタッフが集まっており、本当に感謝に堪えません。お互いにときにはミスがあってもそれさえも笑顔で前向きに乗り越えていける環境になっており、前にも書いたかもしれませんが、いまのスタッフの雰囲気が一番わたしは好きです。
そんなこんなでなんとかハレの日の夜は無事終幕しました。 わたしも思い重すぎる荷物をなんとか担ぎおろせた夜になったような気がします。 この先何年いまのこの生業が続けれるかはわかりませんが、とりあえずは15周年のお祝い会ができるようまた日々精進していきたいと感じています。日々の事象はいろいろとあり、想定外で難儀な日もあれば、想定通りで軽快な日もあったり、予期せぬ嵐の日もあるのですが、こうしたハレの日を迎えれるよう日々の診療に精進していくことを決意した夜でした。