令和5年4月15日(土)、有明の東京ガーデンシアターで行われたボブディラン日本公演に参加してきました。ボブのライブ体験は通算3回目となります。前回は2014年の福岡公演でしたので9年ぶりです。
白状すると、元々ビートルズファンだったわたしは高校卒業後に何か哲学的というか文学的な香りに惹かれて遅まきながらボブディラン・デビューを飾りました。もう60年代どころか70年代のディランも終わった80年代のことです。
最初に聴いたアルバムは「ボブディラン・グレイテスト・ヒット」。あの「雨の日の女」で始まり、「女のごとく」に終わる初期の煌びやかな楽曲たちに溢れたアルバムです。これを買ったのではなく、当時流行りのレンタルレコード屋さんで借りてそのままカセットに吹き込み、AIWA製の擬ウォークマンを通して大学に通学する電車のなかで、繰り返し飽きもせず聴いていました(何故かモーツアルトのピアノ協奏曲や交響曲体験もこの時期でした。モーツアルトにも何かを感じていたようです)。 当時はビートルズやサイモン&ガーファンクルのようなメロディの素晴らしさはないものの、ディランには彼の言葉に何かがある予感がありました。本能的にとでもいうように感じていたのです。
わたし自身は個人的レベルにおいては「とにかく大学には寄り道なく入らないといけない。かつ国公立大学への進学のみ。浪人は絶対に許されず現役合格なければ就職・・」という過酷な運命というか生活の掟のような重荷を背中にずっと背負い、やっとこさ条件をクリアする国立大学に入ったものの、受験勉強に精を出し過ぎたおかげで世間のことは何も知らずです。受験勉強には一生懸命に励んだものの、世界のことをまったく何も知らないウブな状態。 おぼこさ100点満点の18歳大学生活の始まりであり、なんとか大学では今後の生きていくための糧というか哲学というか精神的支柱を見つけなければならない・・という想いが強くありました。時代的にそういうムードがあり、まだ「反体制」とか「左翼」とか「右翼」とかいう言葉が生きており「朝日ジャーナル」などが反抗的な若者の精神を煽る元気な時代でした。そのなかで「ボブディランというアメリカ人はなにか人生の大切なことを唄っているように思えるし、きっと何かこれからの人生に関わる秘密が見つかるに違いない。何としてでもそれを探らないと」・・という思い込みで聴きはじめたような記憶があります。
当初、根っからのポップ好き(今もです)で、小学校からずっとビートルズファンのわたしにはディランの一聴めは比較的ポップな「I Want You」以外はまったく耳に引っ掛からなかったものです。まさに「なんじゃぁこりゃぁ~!!」てな感じです。それでも何百回と繰り返し聞くうちに詩の内容も把握できるようになってくるうちについには耳になじみ自然と自分の生活の中でなくてはならない音というか概念になっていきました。とくに20歳前後のわたしはまさに高校時代までの窮屈な生活の反動もあって「Like A Rolling Stone」状態であり、激しく忙しいバイトの「嵐からの避難所」として大学に通うというような本末転倒の、まるで陽の光から遠ざかり「地下で憂鬱」に暮らすかのような、そして小金が貯まるとふらふらと貧乏ひとり旅に出てまさに「風に吹かれて」いるような生活でありました。いつの間にか、ボブの唄うホーボー感覚の枯れた、「雨の日の地下室」のその狭い小さな窓から空をにらんで歌い続けるような孤独な歌声はつねにそんな自分に叱咤とこの先の光を示唆してくれるような音楽になっていきました。
もちろんベストアルバムでとどまることはなく、それからアルバムごとに驚くべき衝撃の変化が続く初期60年代のオリジナルアルバムを次々と聴いていきます。とくに「ブロンド・オン・ブロンド」まではまさに奇跡のような展開です。 そしてモーターバイク事故後のウッドストックにての運命を変えた小休止があり、70年代の「血の轍」にも衝撃を受けました。「Like A Rolling Stone」もそうなんですが、音楽でこういう感覚を表現できるんだ・・とあらためて思い知らされました。
ディランの曲は無骨で伴奏にもあまり工夫なくそっけなく歌わるので一聴しただけではなかなかこころを捉えないのですが、それらが素晴らしい楽曲であることは、ほどなく知ることになったディランの最も良きカバーバンドのザ・バーズを知ることで、確かなものなっていきました。また同じ時期に強く感銘と影響を受けた佐野元春さんもディラン・フリークであったことも大きかったです。毎週月曜深夜に放送されていたFM NHK「サウンドストリート」のDJとしての佐野さんによる音楽紹介は本当に素晴らしくディランはじめさまざまなロック・ジャイアントの音楽を教えてもらいました。そうこうして洋楽的には「ビートルズ~バーズ~ディラン」がわたしのこころの3本の矢に育っていきました。
正直ビートルズもなかなか深いものがあるのですが、ディランの言葉の深さときたらもう潜りがいがありすぎて、わたしのようなこころの肺活量の少ない者にとってはこころの深海で窒息しそうなほどでした。当然豊富な楽曲はその後のわたしの人生とも密接にかかわりあっていくのですが、これを表現すると一遍の物語となってしまうので、それはまた別の機会にさせてください。
そんな若き時代からはや数十年がたち、さまざまなディランの音楽を聴いてきましたが、正直21世紀に入ってからのディランのしゃがれて老成した歌声に対しては、どうも違和感があり、ニューアルバムは必ず購入するものの、一週間ぐらい聴いたらあとはお蔵入りという感じで同時に発売されているブートレグシリーズの方に熱狂するという少し捻じれた有り様でした。
そんなやや不遜なディランファンのわたしですが、9年ぶり福岡Zepp以来の迎合になるので、時間を縫って新作「ラフ&ロウディ・ウェイズ」を何とか聴きこんで、今回のライブに臨みました。
81歳になったディラン。どんな声になってしまったの?という不安と期待の入り混じったライブでしたが、しゃがれた声ではなく、穏やかで深みのある大人の声になっていました。東京公演では客電を落としていないこと、事前に曲のセットリストが判明していたこともあり、アルバムを中心とした歌詞カード持参で参加したところ、しっかり読める状態だったので、リアルタイムでディランの生声に耳を傾けながら直接言葉の意味内容が入ってくる体験ができました。それらを通してディランのいま感じていることをわたしなりに受け止めました。
ディランの魂は現在、生と死の挟間を行ったり来たりしながら、「まだもう少しこちらでやることがあるから、Black Riderよ、まだ迎えはいい」と歌いながら、「自分はもう長く生き過ぎた。わたしは自分の人生よりもすでに長生きしてしまっている。わたしは身軽な旅をしている、ゆっくりとふるさとに向かっている」とも語るように歌い、死に近づきつつある身を顧みたりするフレーズも印象的でライブのなかで魂を彷徨させていることがよくわかりました。
おそらくディランは1990年代のネバーエンディングツアーを開始した頃から、音楽ツアーそのものを人生を営む家と見定め、世界中の至るところを我が家のごとく訪れ、夜になると生きて食事をするようにステージに立ち自らの魂と自分を通り過ぎあの世へ行ってしまったこれまでに出会った魂たちの開放を唄うことを営みつづける人生を選び、その進んでいく時間のなかで徐々に衰えていく肉体を自覚しながら、魂だけはライブという営みを通して毎夜甦りを繰り返すという時間を過ごしているのだろうとほぼ確信する夜になりました。
そしてやはり特筆すべきは前回に比べても明らかに声がかなり元気に出ており、一時期のしゃがれて枯れきった声というよりも温かく深みのある優しい声となっていました。さすがにギターを持って歌うことはなく、ほとんどをピアノの前に座りながらの演奏でしたが、バンドと共鳴し、ジャズのようなリリシズムもありながら、ロックのダイナミズムまでも併せ持つまさにジャンルを超越したディラン・ミュージックとなっていました。この瞬間はつねに一期一会なんだということをディランの奏でる音は雄弁に語っていました。
また会場である東京ガーデンシアターが素晴らしく、4階席まであるスタンドの客電が降り注ぐ星たちのようで、ディランもステージから星の子どもたちに歌いかけるような気分で気持ちよくライブできたのでは・・?と思い、そういう箱を作った日本人職人に感謝をしつつ、ディランも「さすが日本は何度きてもBeautiful Worldだわい」と感じてくれたのでは・・と想像したりもしました。
いずれにせよ、今回の素晴らしいライブ体験を通して「21世紀のディラン」をもう一度探索してみる気になりました。彼の魂の軌跡は、自作曲だけでも700曲近くにもなり、わたしにとってもひとりの人間がたどった魂の軌跡として今後もしっかりその曲を味わい楽しみ鑑賞していく決意を固めました。ノーベル賞もとるぐらいなので作品の量も質も深くひろ過ぎていくらでも時間がかかりそうですが、わたしも診療という生きていく糧であり旅の日々を縫いながら、時々ディランの世界に向き合い、魂を磨いていく行程を深めていきたいものです。
今回のライブ、もしやディランとの今生の別れかもしれませんが、「キーウェスト」への旅の途中また日本に寄られる際は必ず馳せ参じる決意を固めてのしばしの別れとなりました。
そしてわたしもディランと同じ時代に生きる人類のひとりとして、広島に戻れば日々の営みが待っており、ディランにまでは及ばぬとも、今後生きていく営みもしくは大切な場所として診療に取り組んでいくこととします。