シン・仮面ライダー

本作を令和5年3月、桜の便りがそろそろ届きそうな春の夜にT-Joy東広島1番シアターにて劇場体験してきました。

 

本作は「待望」という言葉がぴったりの庵野監督による「シン」シリーズの最新作です。わたしは庵野監督よりも半世代ほど下になりますが、石森章太郎先生による「仮面ライダー」のテレビ初放映が始まったときはちょうど小学生になったばかりの頃であり、それはもう衝撃をくらったまさに初期ライダーど真ん中の世代です。当時こどもたちのこころに大旋風を巻き起こし、社会問題にさえなった仮面ライダーカード(カルビーのスナックのおまけですが、おそらく40代以下の方にとってはそれなに?という代物ではないでしょうか)を遮二無二集めた過去もあり、当時幼かった小学生のこころを何故日常でのしんどさや苦難を忘れるほどあれほど鷲づかみにして熱狂させてもらったのか未だに謎であり、本作を観ることによってその答えが少しは解きほぐされるのでは・・との期待を抱いて映画館へ馳せ参じました。

 

なのでライダーについては何時間でも熱く語れるほどのかつてのファンであり、さまざまな想念が潜在意識の領域からマグマのように噴出してくる故思いつくまま書き連ねますので、以前のシン・エヴァンゲリオンについてのブログと同じように訳のわからないまとまりのない文章になってしまう恐れがあり、以下の文章は軽く読み飛ばすか、ご笑読するかされてくださいね。

 

さて庵野監督の「シン」シリーズのすべてに言えることなのですが、本作においても時代を越えて現代でも通用する舞台設定をしっかり導入しており、とくに悪の組織SHOCKERについてもそのロゴの複雑な言葉遊び(当てはめ)も含めて彼らなりの役割と目的を与えており、監督はいつものようによほど元作のことを読み込んだうえで、愛をこめて「シン」化させているのだと感じ、真っ暗な画面でニヤリとしてしまいました。

 

映画の冒頭でいきなりライダーの拳の打撃による激しいグロテスクな血が吹き飛ぶアクションシーンがあります。まさに「ライダーパンチ」です。このパンチにより敵の胸は張り裂け血が乱れ飛ぶ残酷なシーンに正直身震いします。ライダーってこんなだっけ?という想いも少し湧きます。しかし考えてみれば、ライダーの武器って「ライダーパンチ」か「ライダーキック」ぐらいしかないのです。素手で敵を打ち倒すにはこれほどの衝撃のある身体に改造されたということをグロテスクなシーンで再認識させようという監督の意図に早くもうんうん当然そうなるよな・・と納得です。

 

考えてみれば、放映当時はあまり意識しなかったのですが、仮面ライダーもショッカーも基本的に刀や拳銃などの外からの物質的武器を使わず、あくまでも自分の肉体に備わった能力のみで勝負しており、この素と素の身体のぶつかり合いがとても魅力だったのかもしれません。「漢と漢は武器など持たず、素手で勝負~」ってな感じです。これなら幼くてお金もなにも持たない小学生たちでも変身ポーズひとつでライダーになることができ、パンチやキックを繰り出すという「ライダーごっこ」に興じれたのもこういうわけだったのかもしれません。(その点、Xライダーではバトンのような武器を使用しており、そのころからわたしはライダーを徐々に卒業していったことに今回気づかされました)

 

唯一ライダーが使用する武器とも言えるのが「サイクロン号」と呼ばれるバイクなのですが、これは武器というよりは、ライダーとともに戦い、ときには助けてくれる仲間または下僕(しもべ)のような役割になっており、当時の高度成長期70年代の子供たちは共に居てくれるペットを飼うことに憧れていました(わたしもポチと名付けた犬を飼っていました)が、このしもべとのコラボレーション、助け合いもグッとくる要素でした。正義の味方の定番です。 わたしもライダーだけでなく「人造人間キカイダー」、「バビル2世」、「勇者ライディーン」などにならって、しもべとしてマイ自転車に「〇〇号」と名前を付けていたことをふと思い出しました。 後年中型バイクの免許を取得することになりますが、おそらくバイク乗りになったこともそうした影響を受けていたような気がします。

 

バイクというのは人間の独力では達成不可能なスピードでこころとからだを未知の世界へ誘ってくれる頼れる相棒であり、風を切って人馬一体となり風景をどんどん置いていく爽快さがスリルとともに素晴らしいのですが、その当然の結果として 「ふと気づけば相棒とひとりぼっち、人が訪れることもない岬の先・・」というような寂しさが常につきまといます。 本作はその寂しさや孤独感も本郷猛というキャラクターを通して表現されており、加えてトンネルでの爆走シーンが典型ですが、バイクのもたらす爽快感やスリルも画面いっぱいに余すことなく表現されており、仮面ライダーの一番の表の本質がしっかり押さえられていると思いました。

 

そして何と言ってもライダーの底を流れる隠れた魅力は人間世界の不条理です。本郷猛もある日突然気づいたらバッタと人間のあいの子に改造されているという不条理な体験を背負いながら、悪のショッカーと孤独に戦い続けていくのですが、本作では本郷自身はもちろん、敵のチョウオーグ(仮面ライダー零号)自身にも過去に目の前で親を喪うという強大な不条理があったという映画ならではエピソードを加えており、さすがは庵野監督でした。

 

本作で意外であり結構驚いたのはライダーシステムの科学的考証に「プラーナ」の概念を入れてきたことです。「プラーナ」は中村天風師は言うに及ばず、最近では秋山弁護士をはじめ「不食」成功者のみなさんが提唱したりもする、元々はヨガで唱えられている空気中に漂う生命エネルギーの源でもあり、現在我々のような医療に携わるものでさえ気になる生命の源となる概念なのですが、その「プラーナ」をライダーの強さの秘密に導入してくるとはいやはやなんとも現実と虚構の交錯に頭がクラクラしてきました。

 

一方でさすが庵野監督、「プラーナ」のことまでもよくご存知なんだな~という畏敬の念も本作を通して新たに感じたりもしてわたしも日々こころとからだの深い不透明な世界をこれからも探求していくという気持ちにさせられました。

 

本作中では、政府側の味方の苗字があの本郷猛をつねに見守り支援していた「おっちゃん」の「東郷」であったり、その後「仮面ライダーV3」に登場し「ライダーマン」に変身することになる「滝」であったり、人工AIの完成品としてやはり石森先生原作の「ロボット刑事K」も登場させていたり、ラストシーン山口県の角島大橋を滑走する2号ライダーのヘルメットが当時の少年ライダー隊のカラーリングにひっそりと変更になっていたり・・・などなど当時を体験していたファンの心をくすぐる隠し小ネタ満載だったのもオーそう来たか~と楽しませてもらいました。

 

以上ライダー映画ごときを観ていい大人が一体なにを言っているのだと言われるような内容であり、笑読していただければ幸いです。仕事の場では決して見せないわたしの一面です(笑)。それだけに、本作は庵野監督にしては、ライダーという作品に忠実なあまり、映画としては全般的に暗い内容になっており、爽快感やカタルシスも足りていません。わたしのように初期の暗いライダーがデフォルトであり、本来の姿である・・と認識している世代にはうけるかもしれませんが、平成以降の比較的明るいライダーの世界観に慣れている方たちにはあまりうけないのでは・・?とうい一抹の不安も感じたりはしました。

 

それでも仮面ライダーについては泉のようにさまざまな思い出があり、例えば、「仮面ライダー」がなぜ令和にまで延々と繋がるシリーズ化になったかという、2号ライダー誕生エピソード等々面白い逸話諸々満載なのですが、その話はいつかお酒を飲みながらの四方山話でさせてください。

 

最後に、仮面ライダーの魅力はその長い歴史ゆえ誰もが自分の体験したライダーを楽しく語れることではないでしょうか。 どんな大人になっても目をキラキラさせながら自分の好きだったものやを語れる大人になりたいものです。 さすがに本作の展開であれば、庵野監督による「シン・仮面ライダー」の続編はないでしょうが、この先の時代、日本が続く限り仮面ライダーは永遠であり続けるはずであり、仮面ライダーのようなヒーローたちに励まされながら、幼きこころを育て現在も正義を愛する大人になってしまったわたしもショッカーを倒すほどのプラーナ・パワーはないものの、地域の皆さんのお役に少しはたてるよう日々プラーナを増やすべく精進することをこころに秘めて映画館を後にしました。

 

石森先生、庵野監督、作品に携わった多くの方々に「ありがとう」を言わせてください。日本のこどもとして昭和の時代に少年時代を送らせてもらったわたしは本当に幸運でした。

 

P.S.庵野監督、こうなれば実現困難なのは重々承知ですが、「シン・マジンガーZ」もしくは「シン・ゲッターロボ」制作の検討をよろしくお願いいたします。楽しみにしております。