本作を秋の気配が濃厚になってきた木曜日休日の昼下がりにT-Joy東広島にて鑑賞してきました。
ご存知、福山雅治さん演じる、東野圭吾さん原作のガリレオシリーズの映画としては第三作目の作品となります。何と言っても、第一作「容疑者Xの献身」が大傑作であったため、わたしとしてもその後の映画版は欠かさず修行しております。
本作はシリーズ中最高傑作という前宣伝もあり、「ホンマに~?」と期待しての鑑賞となりました。
本ガリレオシリーズは探偵推理ものと思わせながら、推理トリックの妙より実は不可解な事件をめぐる濃厚な人間ドラマとなっている点が魅力なのですが、本作でもその点は十分発揮されています。
本作の一番の魅力は、殺された女子高生をめぐる街の温かな人達たちの営みに心を打たれます。小さな居酒屋を懸命に営む両親の長女として育ち、両親の愛をいっぱいに受けながら、同時にお店に通う人々からも可愛がられながらすくすくと素直に育った彼女。その一方で歌うことに非凡な才能を持ったことにより、街の祭りでののど自慢大会を機に地元在住の音楽プロデューサーから認められ、まるで家族のように実の娘のように音楽レッスンを受けながらついに歌手としてのデビューが目前にせまっていた彼女。素敵な彼との恋も掛け持ちしていた彼女。そんなたくさんの幸せに満たされていた矢先に突然失踪し、数年後に骨だけになって自宅のある街から数100キロも離れた民家の焼け跡から見つけられた彼女。
誰がどう見ても幸せで羨まれるほどの境遇の彼女に一体何があったのか?冒頭に彼女が街の祭りののど自慢大会でその歌唱を披露するシーンから物語に否応なしに引き込まれていきました。
その背後にかつて同じように一般女性を殺しながら逮捕されても沈黙を貫くことで無罪を勝ち取った元警察官を父親にもつモンスターのような男性の存在。そんな男と彼女の、想定を超える接点。偶然というべきか必然というべきか彼女の事件は、さらなる殺人事件を呼び込みながら、物語が進むにつれてさまざまな謎がすっきりと明らかになっていきます。
しかし事件の謎が解けても消えないわだかまりがわたしの心には去来しました。歌手の夢を持ちながらその夢にあと一歩のところまで辿り着きながら挫折していくこの矛盾に満ちた切なく儚い状況・・・。
本作には個人的にデジャブ感があり、よくよく記憶をたどれば若い頃に読んだひとつの小説を思い出しました。石川達三作「青春の蹉跌」です。若者が持つ夢と陥りやすい欲望の罠という共通のテーマがこれらの作品には表現されているような感傷を抱いてしまいました。
若い頃この小説を読んだわたしは青春の夢、若さゆえの過ち、その挫折と苦悩の物語に出くわし、物語の主人公を自分と重ね合わせて、世の中の不条理に心震わせたことを思い出しました。
いずれにせよ本作はガリレオらしい、飄々としたガリレオのキャラクターと見事に対称をなす、切なく儚い人間ドラマに彩られている素敵な作品でした。
本音を漏らすと、第一作である「容疑者Xの献身」のラスト、アリバイトリックにより助けたはずの女性からの告白と謝罪を聞いた容疑者Xの慟哭。親友の想いを知りながらも彼のアリバイを崩し犯人にしてしまった哀しみと葛藤に包まれ苦しむガリレオの表情。そしてラストシーン、隅田川に深々と降りつもる雪の美しくも儚い情景といったこれぞ映画という独特のカタルシスの表現にまでは至っていないような気がするのですが、これはこれで本作は素晴らしい作品であり、また別の次元で懐かしい思いに包まれた作品になりました。次回のガリレオシリーズが今から楽しみです。
P.S.本作の事件のトリック。事件が最初に起こったとき実はまだ被害者は死んだように見えて死んでおらず、そのことがその後現場を訪れる第三者による犯罪とトリックの引き鉄になるという点は、第一作と共通する趣向であり、これは単なる偶然なのか、あえて同じ構造のトリックで再び挑んだのか、単に東野さんの手癖なのか・・この点でも思いが残る作品となりました。