本作を新緑の眩しい5月の夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。本作はかなり静かで深い文芸的映画であり、通常広島市のサロンシネマ系でしか上映してもらえない作品タイプなのですが、本年度のアカデミー賞作品・監督賞・主演女優賞など主要3部門を獲得した影響で、わが街の映画館での短期間の上映がかないました。いまコロナ禍に騒がしいなかで、広島市内まで足を延ばすのは億劫なだけに、T-Joy東広島に感謝です。
毎年本ブログでもつぶやいているように、近年のアカデミー賞は、痛快エンタテインメントより、やや暗くしぶ~い社会批評もしくは文学的作品を好み、こうした作品群が大賞を受賞しており、本作も完全にこの流れと言えます。
本作は、アメリカにおいて、停年が近づき仕事を離れて、あえてノマド(放浪の民)となる高齢者たちを描いています。アメリカの現代社会のなかで着実に増えつつあるノマドランド。それはホームレスというより、ハウスレス。自らの意思で家を捨て、アメリカという大地を放浪しながら、バン(ワゴン車)で生活することを選択した高齢者たちのリアルな生活が活写されていました。
そして、これがなかなか含蓄のある味わい深い風情なのです。一定の場所にとらわれず、行きたい場所をめざし放浪しながら、定住生活者ともときに交流しながら、生活していくファー(主人公の女性です)。ときに定住しての共同生活を誘われながら、亡き夫への想いを秘めて、大地とともに暮らす女性が力強く描かれています。「さよなら」ではなく、「いつかまたこの路上で会おう」という言葉を交わしながら・・・。
こうした路上生活(まさにOn The Road)は言ってみれば、アメリカの歴史そのものであり、建国時の西部開拓者(Vanguard)に始まり、1940年代から50年代にかけて列車の屋根の上に乗り無賃旅をしたホーボー、60年代に自動車(motorcar)でアメリカンウェイを探し求めたビートジェネレーションなどもその系譜に繋がりますが、現在はノマドという生き方により伝承されているわけで、わたしも本作を観てあらためて、「アメリカは無理でもせめて日本のなかを放浪してみたい」との想いを喚起されました。
さらに本作においてはアメリカの素朴な大地、雄大で何とも言えない朱色に染まる夕焼け空などの風景がこれでもかというぐらい詩情豊かに表現され、ファーの営む質素かつ簡潔な生活との対称関係も素晴らしい文学的作品となっています。こうした世界は、個人的には完全にストライクゾーンであり、感涙作品なのですが、ほんの15年も前だったならば、知る人ぞ知るというニッチなマイナー作品であったような気がします。いずれにしても現代において本作がアカデミー賞作品賞はじめ主要3部門を獲得するという事態は、ここ数年来急速に進むアメリカ映画界のスモール化のなせるわざなのでは?なんてまたまた思ったりしました。
本作に刺激されて、いつかこんなノマドライフを送れたら・・なんて思ったりしますが、この生活様式を社会が許容するには、我が国土は狭すぎるきらいがあり、わたしの場合、将来できたとしても、せいぜい車中泊の温泉巡りという段に落ち着きそうです。そんな生活さえこれからずいぶん先のことであり、まだまだこの地で元気に働きつづける日々となりそうです。
P.S.もし本作の世界にはまり、アメリカの放浪・漂泊する魂たちに興味を持った人がおられたら、同じアメリカの2007年作品で、上映当時はまさに知る人ぞ知るという作品(なんとあのショーン・ペン監督作です)であった「イントゥ・ザ・ワイルド」をおすすめします。アメリカの名門大学を優秀な成績で卒業しながら、その直後に家族と連絡を絶ち、単身ひとひとりいないアラスカの深い森の中の生活に入っていった実在の若者を描いた映画ですが、アメリカ人の魂に流れる自然への共鳴、共生思想が本作と通底するように流れており、この作品を広島市内のサロンシネマで観た当時、名もなきアメリカ青年の魂にそっと触れたような感覚が訪れ、不覚にもわたしの目には一粒の涙がこぼれる傑作でした。おすすめですよ。