ヤクザと家族

本作を2月末の春の気配漂う月曜の夜にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。これは観とかないと勿体ない・・との評判を聞きつけ、なんとか間に合いました。

 

観終わって、いやはやなんというカタルシスの強烈さでしょう。自分がまるで映画の登場人物になったかのような錯覚を久々起こしました。

 

かつての漢気を磨くという昔ながらのヤクザの世界から、暴対法という時代の風を受けて、変質していくヤクザ世界。そのなかで、ヤクザの世界から足を洗っても、付きまとってくるヤクザであったという過去の穢れ。

 

ヤクザの世界を求めたわけではなく、こころの通う家族の世界をそこに見つけ、彼なりに懸命に生きてきた山本。その山本が求めた世界は14年の刑務所生活のなかで、消えかかっており、父親と慕った親分(舘ひろしが演じていますが、これがまた渋くて素晴らしいです)も癌に侵され、命も風前の灯火。その親分からもヤクザの世界から足を洗うことを諭され、かたぎの世界で懸命に生きていこうとする山本。

 

しかし彼を待っていたのは容赦のない社会の鉄槌。かつての仲間からの裏切りや支援を受けながら、なんとか仕事にもつき、かつての恋人と娘との再会を果たしながら、思わぬところから崩れていく温かくも砂のような家族の楼閣。

 

過去のしがらみや因習に彼なりのけじめをつけながら、どこにも行けない山本。そして衝撃のラストシーンが訪れます。問題のラストシーン・・・。(実は映画のファーストシーンにも繋がっているのですが)わたしも「まじですか、そう来ましたか~」と唸り、その後さまざまな回想シーンへこころが運ばれていくような作品でした。

 

見どころの多い作品ですが、本作の一番の肝は主人公・山本を演ずる綾野剛の目です。彼の目がセリフなしでも思いを雄弁に物語っており、怒りや優しさ、無念さ、悟りなどさまざまなシーンで彼の目が積極的に物語を動かしており、わかってはいたことですが、いまさらながらに、すごい俳優だな~と感心しました。

 

そして物語の暗転に、意外に大きな要因となるSNSという現代における凶器の存在です。すべてをやり直し、幸せに生きていこうとする山本や仲間たちの生活を崩していくその狂暴性は切ないほど強力で無慈悲です。かつて物理的な暴力を武器に社会を蹂躙していたヤクザが、新たな時代の代名詞というべきSNSという暴力によって人生を破壊されていくわけであり、なにかの啓示のように重くのしかかるテーマも内包していました。

 

さまざまなテーマを抱える本作は評判どおりの傑作であり、もっと話題にされてもいいと言える作品でした。綾野剛さん、藤井道人監督には今後も注目せざるを得ないなとこころに決めて春の近づく真夜中の風を感じながら帰路に着きました。