本作をいよいよ妙な病原体の脅威に翻弄され始めた世間を尻目にひっそりとT-Joy東広島で鑑賞してきました。案の定、広いシアターにはわたしを含め、観客はたったのふたりの貸し切り状態でした。
元は飼い犬であった雑犬バックが、ひょんなことから犬売人にさらわれ、その後波乱万丈の人生(犬生?)を送りながら、成長していき、最期は心が通じ合う老人とともに山と自然と同化していくという物語です。
興味深いのは、人間の成長物語なら、成長に連れて、都会に出ていく感じなのですが、犬の場合、その逆でどんどん人間世界から離れて野生に戻っていくという点です。
こうした展開は、原作のジャック・ロンドンに限らず、ホイットマンやマーク・トウェインといったアメリカの生んだ国民作家には共通に見られる要素であり、アメリカ文学には、文明社会に対する疑念とともに大自然に対する畏敬の念、自然と人間の共存への憧憬がそこかしこに溢れています。
音楽面でも、文明社会に背を向け列車の屋根に乗って各地を旅するホーボーとして歌を作ったウディ・ガスリーは言うに及ばず、いまやアメリカの国民歌手となったボブ・ディランにしてもそうした面は明らかにうかがえます。
最近はIT社会をけん引し、ありとあらゆる情報と物質で世界を蹂躙するかのようなアメリカですが、本作を通して、「アメリカ人の心の源泉である野生への回帰を忘れてはいけないよ」とディズニーが警鐘を鳴らしているような気がしました。
21世紀に入り、再び世界の覇権を中国と争っているアメリカ。いま世界はアメリカがこの数十年声高らかに推奨し推し進めてきたグローバリズムの必然的な帰結と言うべき病原体の蔓延に翻弄されている真っ最中です。こうした古き良き素晴らしいアメリカンスピリットを現大統領にも思い出してもらいたいものです。
グローバリズムという境界なしの人や物の行き来きが生み出してしまう、終わりなき経済競争や生存闘争から勇気をもって降りて、我々は世界での成功や物質的栄華を遮二無二目指すことなく、自国を中心に平穏に暮らし、少々経済効率が劣っても様々な必需品(マスクをはじめとした医療品や農産品等々)を自給自足して、むやみに他国に依存せず(できれば軍事防衛力も)、まっとうで普通な人としての道を歩んでいくときが来ているのだよ・・・と、その病原体は我々愚かな人類に対して、世界じゅうに聞こえるように高らかに警鐘を打ち鳴らし、これから人類が歩んでいくべき道を親切にも照らしてくれていると感じるのはわたしだけでしょうか?