本作を封切間もないT-Joy東広島6番シアターで修行してきました。
T-Joyを運営する東映作品でもあり、吉永小百合の旧作も再上映したりして、T-Joyも気合いが入っているので、当然のように大スクリーンでの修行となりました。
吉永さん通算出演120作めという節目の作品であり、劇中では30代から70代ぐらいまでをひとりで演じているという渾身の作品です。
物語では、かつて終戦のどさくさまぎれに、日ソ不可侵条約を一方的に破って侵略してきた南樺太での家族の悲劇と再生が描かれており、戦後の貧困のなかから苦難を乗り越えて成功した次男と老いた母親の物語です。
劇中に最初しか登場しない、父親や長男の消息はそうした歴史を知るものなら、簡単に予測でき、物語自体は驚きはない展開なのですが、ソ連によるシベリア抑留やアメリカやソ連による民間船(対馬丸などの悲劇はいまも思い出されています)への無差別攻撃という戦争中においても、国際法的にルール違反である蛮行を受けての家族の運命の物語は数多く表現されており(劇団四季によるミュージカル「異国の丘」も泣けました)、やはり何度みても悔しく痛ましい想いがふつふつと湧いてきます。本作は創作なのですが、これとよく似た話はおそらく日本の北でも南でも当時は結構あったのではないでしょうか・・・?
そうした悲劇を経て、懸命に高度成長の時代を生き抜いた母と息子が桜の下である境地に達する・・というシンプルな話なのですが、戦争と絡めなくとも逆境から這い上がっていく家族や母親と子どもの話は、大げさかもしれませんが、わたし自身にもそうした感触には少し心当たりがあり、いろいろなことを思い出し、ややセンチメンタルな心境になったりもしました。
それにしても、こうした悲劇を生みださないためにも、戦争は避けたいものです。戦争を避けるには、戦争をしないという庶民の決意だけでは難しく、政治による外交という手腕・技術が必要なのですが、ここ最近の日本政府の右往左往を観ているとやや心配になってしまうのはわたしだけでしょうか? 本作を観終わって、やはり戦争だけはいやだな~という感慨をもって、真夜中の帰路に着きました。
P.S. 本作はふつうの映画構成でなく、ところどころに舞台演出を入れているというややアバンギャルドな構成だったのですが、舞台演出のクレジットにはケラリーノ・サンドロヴィッチという名が。どこかの東欧系外国人と思い興味をもって調べてみると、なんと元・有頂天のケラではないですか!わたしは青年期に雑誌「宝島」文化の洗礼を受けた世代であり、ナゴムレコードやキャプテンレーベルといったインディーズ系のロックバンドを愛聴していた時期がありました。有頂天もそうしたバンドのひとつであり、そのボーカル兼リーダーだったケラがいまも、舞台演出家として活躍していたことを知ったことは望外の発見であり、なんだか古い友人の活躍を予想外の場所で知ったようでこころがちょっとだけ舞い上がってしまいました。それと同時に自分もケラとは居る場所や部門は違えど、いい仕事をしなくてはいけんという気持ちを新たにしました。