春の終わり、初夏の気配のする頃、本作を広島市内の八丁座にて鑑賞してきました。
じつは白状しますと、JFKにまつわる物語は小学校のころからなぜかいつも気になり、その伝記や暗殺前後の物語や彼の家族にまつわる物語や映像を結構大量に幼少期から経験しており、本作もそういう自分からすればやはり観ておかなければならないという作品でした。(とくに80年代末期にイギリスのグラナダTVが編集制作した、実在の映像で綴ったケネディ家の物語の連続シリーズものには度肝を抜かれたものでした)
さて本作ですが、もちろんJFKの妻ジャックリーヌを主人公に、JFK暗殺後から主に国葬に至るまでを史実に沿って、ジャッキー自身がジャーナリストに回顧するという風に物語は進んでいきます。
夫をあのように国民が見守る前で悪意に満ちたひどい殺され方をしたあとにもかかわらず、屹然とした態度と表情を保ち、国葬が無事終了するまでみだらに泣き崩れることなかったジャッキー。まるでそれが故JFKの遺志であるかのように、公衆の面前では威厳に満ち凛とした姿勢を保ち続けた姿には清々しさとともに、ケネディ家の跡継ぎであり大統領でもあったJFKの夫人であった彼女のプライドの強さと同時に言いようもない寂しさが画面に溢れていました。
彼女の判断が正しかったかか間違っていたかはともかく、翻弄されそうな時代を吹き付ける激しい風のなかで、ひとつの確固たる意志をもったひとりの女性の生きざまが本作には表現されており、わたしはそれはそれで時代のなかのひとつの意志のきらめきを感じながら、エンドマークを迎えました。
ただ本作についてすこしだけ心配するのは,わたしのようなJFK好きにはひとつの佳作として十分に満足のいくものでしたが、JFKにあまり興味のない方にはあまり楽しめなかったのではないでしょうか?
ジャックリーヌを含めて、ケネディ家の人々(アメリカの王道のW.A.S.Pのセレブと思われがちですが、実はマイノリティのアイルランド系のたたき上げの人たちということも意外に知られていません)の物語はJFK,弟のロバート、兄のジャックといった面々がキラ星のようにきらめき、奥が深く、本作の表現世界はその長い悠久の流れのほんの一瞬間を切り取ったものであり、本作を観ただけではなかなか理解しがたく、そこらあたりが心配ではありました。
本作の監督にはその後のジャッキーの生きざま(ふたりの子供たちがいながら、ギリシャの海運王と再婚したり、これもまた興味深いです)をぜひフィルムに表現して欲しいと思い、映画館を後にしました。
P.S.主演のナタリー・ポートマンは熱演でまったく非の打ちどころがないのですが、いかんせん似ていない。本物のジャックリーヌ・ケネディはもっとかわいらしく小悪魔ちゃんのようなキュートな印象がするだけに、大人の風格が漂いまさに堂々小悪魔どころか悪魔の雰囲気を纏うポートマンが演ずるには少し無理があったのではないか?なんて思ったのはわたしだけでしょうか?
ついでにもうひとつ蛇足を。アメリカの歴史もしくは世界の歴史にとって、JFKの殺害よりもさらに痛かったのは、政治家としての才能および理想の高さ、意志の強さという点でJFKより恵まれていた、弟のロバートの殺害ではなかったでしょうか?もしロバートが生きていれば、その後間違いなく大統領になっていたでしょうし、そうであったならその後のアメリカの物語は変わり、現代世界はもう少しはまともなで哀しみの少ない世界(特に現代のアラビアの混乱はなかった気がします)になっていたのでは?などとわたしなどはよく想像するのですが、そんなわたしはやはり夢想家なのかもしれませんね。