ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK

本作は久々広島市内最大のマルチシアターである「ヴァルド11」まで仕事か終わったあとに遠征して観てきました。

今回はいちビートルズフリークのつぶやきなので、ビートルズにあまり興味のない人にはおすすめしません。単語や楽曲名などわかりにくいタームが多分にあることを最初におわびさせてください。

 

わたしのような、子供のころからビートルズ(残念ながら解散後でしたが)の影響下に成長し、血にも肉にもその生きざまと音楽が入り込んでいる人間にとっては、絶対に見逃せない映画です。もちろん後でディスクも買うのですが、見知らぬビートルズファンの方たちと同じ空間で大スクリーンを通して、動き歌うビートルズを体験することは映画館でしかできないのですから遠征も当然です。本作はビートルズの公演活動時代をテーマにさまざまな発掘映像を編集した作品となります。

 

思えばビートルズ関連の映画でリアルタイムで体験できたのは、ポールが率いたウィングスのアメリカ公演をドキュメントした「ロックショー」が初体験でした。できれば、「ビートルズがやってくるヤァヤァヤァ」などを生体験できればよかったのですが、わたし自身がまだ地上に存在さえしていないころでさすがに無理。当時観た「ロックショー」でさえ、映画冒頭の「ヴィーナス&マーズ」のギターによる一節とポールの唄声が流れ出しただけで、高校になったばかりのわたしは感激に身体じゅうが震えたものでした。それからというもの、ビートルズ映画に必ず馳せ参じているわけです。

 

この日も金曜日の夜8時過ぎの遅い上映時間だったにもかかわらず、まぁいるわいるわビートルズフリークたちが・・・。上は60代から下は高校生までが暗闇のなかにわんさか(と言っても半分ぐらいの入りですが、わたしのひとつ席を隔てた席はなんと中年女性のひとり客だったのが印象に残っています)集っているのだから驚きです。

 

さてさて映画ですが、想いを書き続けたら、以前のワールドカップ観戦記よりも長くなってしまいそうなので、いくつか思いつくままに書こうと思います。

 

まずはこの映画の最大の魅力はなんといってもビートルズ自身の演奏シーンです。あの音声モニターもまったくない時代に、よくあの大歓声のなかで演奏を合わせられたものです。それほど彼ら4人は当時、心身ともに一体となっており、ハンブルグの下積み時代から培ったチームワークと音楽力が炸裂しています。

いまでもときどき彼らの映像はプライベートでも観るのですが、やはり大スクリーンとドルビーの大音響でのシャワー体験はいいです。今更ながらに、4人が同時に動き歌うということの奇跡と素晴らしさには大スクリーンの前でドキドキワクワクの連続でした。

 

この映画のハイライトである、ビートルズが世界を飛び回る実際の姿や言動もいいです。ひとつひとつのエピソードはさすがに既知のものが多いのですが、ひとつ知らなかったことがありました。

アメリカツアーの際、人種で席を分けたコンサート会場を拒否し、結果その会場での初の人種差別撤廃の公演を実現させていたこと。ビートルズなら今となっては当然と思わされるエピソードですが、まだアメリカに足をおろしたばかりの当時、これをアメリカの興行主側に伝えることは、以後の活動や人気への影響を考えるとかなり危険なことだったのではないでしょうか?さすがはビートルズです。

 

いつもビートルズというと取り上げられる、ジョンによる「ビートルズは若者の間ではキリストより有名」発言とその反響もありました。世界の若者がいつまでも宗教にとらわれていることへの皮肉を込めた発言でしたが、いまとなっては、確かにジョンのいう通りであり、皮肉にも,現代でもキリスト教、イスラム教をはじめとした宗教的対立はまったく緩和するどころか先鋭化し、世界中の至るところで若者が宗教の名の下に命を落とし続けているわけで、もしジョンが生きていてそんな世界を観たら、いかに哀しみ憤りどんな発言をするだろう?と考えてしまいました。

 

そして最後におまけ映像として、当時世界初のスタジアム公演となったニューヨークシェイスタジアムでのノーカット映像。いやはやこれにはしびれました。もちろん部分的に何度も観たことはあったのですが、映像も音楽もリマスタリングされ、生き返っています。4人を取り囲んだ当時の狂気と熱気をはらんだ空気が大スクリーンの映像を通しても感じられ、中年オヤジのわたしでさえ久々こころが震えました。4人の汗、大歓声に投げかける視線、目線の飛び方(まさかマリファナの影響?)、徐々に潤んでくる4人の瞳、らりって鍵盤を肘でなでるジョン・・・そんなこんなのちょっとした仕草がもうしびれるんだから困ったものです。

今まで抜粋で観てきたので、こうして10曲すべて(それでもたった30分のマジックです)を通して観ると、曲順、選曲も完璧であることに気づかされました。

 

一曲目には、会場がアメリカであることに加えて、自分たちの音楽的ルーツであるアメリカ発祥のR&Bである「ツイスト・アンド・シャウト」からあえて始まり、2曲目は当夜の彼らの心境を表現するかのように「アイ・フィール・ファイン」、3曲目は再びアメリカへのリスペクトをこめて、「デイジー・ミス・リジー」。そしてアルバム「ヘルプ」を中心とした当時の旬の楽曲群「涙の乗車券」「アクト・ナチュラリー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」を中軸に入れ、当夜3曲目かつ最後のアメリカ曲であり、当夜唯一のスロー曲「ベイビーズ・イン・ブラック」。

 

ここで軽くブレイクを入れたあとラストスパートが眉唾ものの怒涛の構成となります。いきなり「ハードデイズナイト」ではじまり、間髪入れずにそのまま「ヘルプ」、続いて「アイムダウン」へと流れ込んでいく選曲は、おそらく当時の4人の音楽的かつ心情的な最高到達点であり、彼らの魂の咆哮が詰まっていたものといえ、当時4人にとってのコンサートの記念碑であり最大の規模となる公演において、こんな完璧な曲構成&曲順を実現していたということは意外に認識されていなかったのではないでしょうか?

 

シェイスタジアムコンサートというのはビートルズフリークにとっては、人類史上初のスタジアム音楽公演だったという点で記念碑的な催しであるという事実認識はそれまでにもあったものの、大歓声のなかで混乱したただのお祭りぐらいの認識でしたが、こうして大スクリーンかつ大音響で体験してみて、本コンサートは、彼らにとって音楽的にも公演活動の歴史においても、輝かしいひとつの頂点であったという認識を今更ながらにあらたにしたことは貴重な体験でした。このたび映画化に合わせてCD化された「ハリウッドボウルライブ」よりもこちらをCDにしてほしいぐらいです。

 

この日を頂点として4人は徐々にライブ演奏家としては残念ながら坂道を下りはじめます。若くしてここからは老成への道を歩み始めたともいえます。しかしこの夜この場所で彼らは、喧噪と熱狂のなかで4人は一体となり、できるうるだけの全精力と若さのエネルギーを演奏家として激しくはじけ、かつ素晴らしい音楽を表現していたのだということが今さらながらに痛感させられました。そんなことを考えながら、わたしにしてももう涙が出たり体が震えたりはしなかったけれど、ジョンやポールの力いっぱいのシャウト、ジョージのしなやかなハーモニー、リンゴの適切なドラミングを観て感じながら、暗闇のなか瞳がちょっぴり潤んできたのはいうまでもありません。

 

映画のあと、せっかく市内に来たのだし、心のボルテージをダウンさせるために、天下一品のラーメンでブレイクし、帰路高速を飛ばしながら「ポールのライブは生体験できたけれど、やはり4人の全盛期を生体験したかった・・」という嘆息がフロントガラスの外、闇のなかに消えていく夜でした(笑)。

 

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コメント: 1
  • #1

    シネ丸 (火曜日, 22 11月 2016 11:19)

    私のリアルタイムのビートルズ体験は'69年のアップル本社屋上の演奏でした。
    映画にもあったように4人での最後のステージですが,中学生の自分にはインパクトが薄かった事を鮮明に覚えています。 当時はロック全盛期でレッド・ツェペリン,ディープ・パープル,シカゴの来日公演に夢中になっていました。
     しかしこのシェイスタジアムコンサートの映像をみて,改めてライブバンドとしてのビートルズの凄さを感じ圧倒されました。  知らなかったエピソードやインタビューも
    あり,なかなか有意義な修行になりました。