本作を封切間近の週明けの夜にT-Joy東広島にて観てきました。まったく前情報のない状態での修行となりましたが、歴史好きの小生にとっては痛快な作品であり、それはそれで充分に楽しませてもらいました。
なんでも原作はコミックで累計350万部も売り上げているとか。この数字がコミックの世界でどれだけの価値があるのかわたしにはピンときませんが、小説と比較すれば莫大な売り上げであり、他の漫画原作の映画化作品にも言えることですが、かつての漫画好き(漫画家になりたいと思っていた時期もあった漫画マニアでした)であったはず?の自分も随分と時世に取り残されたものだという想いをいつも強くさせてくれます。
織田信長という存在が現代の高校生がタイムスリップして元の織田信長と入れ替わり替え玉をして歴史を作っていたら・・・という一見奇想天外な物語。
くわえて、元の織田信長が明智光秀に身をかえて、サブロー信長の家臣になっていたり、豊臣秀吉がかつて、両親兄弟を若き日の元の織田信長(サブローが替え玉になる前)によって、村ごと焼き討ちにあっており、その復讐のため信長を殺すことを狙っているなど、ちょっとやりすぎの荒唐無稽な設定なのですが、ただひとつ史実としっかり重なる点があります。
それは「乱世を戦のない平和な世の中に導きたい」という織田信長&主人公サブローの想いです。歴史上、織田信長は結構誤解されているのですが、室町時代から延々と何十年も続いていた戦国の世を、武力が横行しない平和な世界に導きたいという想いの人物であったことは歴史的にはほぼ確定されています。
その方法として、信長の生涯のテーマ「天下府武」があったわけです。これは乱世をとりあえず武力によって平定し、その後武力を行使しない平和な天下の招来を導くといった理念です。
どこかの国の政党のように「平和、平和」と唱えているだけでは戦国の世を平和に導けるはずもなく、リアリスト・信長らしい理念でしたが、本能寺の変にて信長は志半ばに倒れ、その理念は家臣や後輩に引き継がれていくことになります。豊臣秀吉の刀狩り、徳川家康の天下泰平はまさに天下府武の延長であり、その実行なわけです。
本作は信長のそうした根本的な部分はしっかり維持しているので、安心して楽しむことができる楽しい娯楽大作となっていました。
本能寺の変というのはいまだに謎が多く、議論の余地がある事件でたいへんに魅力的なテーマなのですが、本作でも本能寺の変までの過程をうまく想像の羽根をはためかせ、物語を紡いでおり、好感をもちました。本作を機に自分の国の辿った道をもっと知りたいという子どもたちが増えればいうことなしです。
そういえば、この文章を書いていて思い出したのですが、本作とテーマが相似形の作品が、わたしが小学生のころにもありました。まさに織田信長の天下府武への闘いとタイムスリップをテーマにした角川文庫&角川映画「戦国自衛隊」という名作です。もし「信長協奏曲」に心酔している若者ならば、「戦国自衛隊」も素晴らしいのでDVDでもいいので観てみることをおすすめします。そしていつか両作品について語り合えれば素敵ですね。