お盆の映画修行4番勝負の最後の作品が本作となりました。「野火」と同様に夏定番の戦争映画です。
ちょうど物語の日本でいちばん長い日というのは、昭和20年8月14日正午少し前の天皇陛下自身による玉音放送の録音から8月15日正午の玉音放送までの設定となっており、わたしが鑑賞した日はまさに長い一日のなかの8月14日午後で、不思議な因縁だなと思いながらの鑑賞となりました。そのせいか八丁座1はしっかり超満員でした。
物語は日本が終戦(敗戦)を選択することは当時としてはそんなに簡単な選択ではなかったということをしっかりと表現していました。それもそのはず、有史以来、敗戦をほとんど知らずに歴史を刻んできた日本。当時はそんな神国日本に敗戦の二文字はあり得ないという空気があったのです。現代の日本とその空気感の違いにまず驚かされます。
そんななかで終戦の選択にかかわるさまざまな日本人のこころの葛藤が原田真人監督によって、それぞれの人物のこころや行動が活写されています。GHQ監視下の戦後すぐにはとても表現できなかった世界なのではないでしょうか?この難しい物語を力技で最後まで飽きさせずみさせるあたりはさすがです。
物語の内容としては、終戦の間際に玉音放送録音さえ否定しあわよくばそれを奪い放送させず、天皇の意思さえ無視し実質、革命を起こしてでも本土決戦に向かおうとした陸軍将校をはじめとした若手軍人たちが少なからずいたこと。彼らに対抗し「もう終戦を決断するしかない」と悟った天皇をはじめとした国の上層部がいたこと。そのなかで天皇の信頼と若手からの期待を同時に背負った阿南陸軍大臣の葛藤を中心に玉音放送までの分刻みの展開が進行します。
物語のクライマックスは終戦宣言当日明け方の阿南の覚悟の切腹。そしてついに達成された終戦宣言となる玉音放送。
余談ですが、かつて学生時代の旅行中に友人と訪れた山梨は上田の象山(佐久間象山の生まれ故郷でもあります)において、本土決戦時に東京から移す予定であった大本営&皇居を観ております。それは地下要塞と呼ぶにはあまりにつたなく洞穴というか壕と呼ぶべきか迷うようなもので、広島でいえば比治山ぐらいの小山である象山のなかに、縦横無尽に人の手で掘りつくされていたのです。当時の日本軍の熱い想いを想像しながら観させてもらった記憶があります。本作にてその体験が数十年の時空を隔ててつながったようで感慨深いものがありました。
しかし、皮肉にも戦後のWGIP(日本の戦争における罪悪感を、日本人に意図的に刷り込ませようとしたアメリカにより、戦後から数年間にわたり実行された言論統制プログラム)の影響で、終戦間際の日本人の葛藤については、歴史好きの日本人以外はあまり認知されておらず、わたしなどは「このあまり知られていなかった事実を多く含む本作の内容を、超満員の観客のどれだけがしっかり把握できるのだろう?」なんて心配したりしました。「めくるめく事実とは信じがたい、終盤に展開される幾多の人々の死への歩みを創作と思う観客さえいるのでは?」なんて思ったりしたのです。
もしやそれは杞憂であり、わたしより上の世代の方には常識的史実なのかな?という考えも浮かびつつ、いつか聞いてみなければ・・なんて考えています。
かくいうわたしも阿南の切腹はよく知っていたものの、畑中陸軍少佐のことは降伏に抵抗した若手将校のひとりとしてぐらいしか認識しておらず、映画のなかで見事に松坂桃李くんが畑中少佐の焦燥と覚悟を鬼気迫る表情(おそらく本作の一番の見せ場でした)で演じており、こういうのをスクリーンで大勢の観客とともに観られること自体が素晴らしく、現在の日本は平和であり、幸せなことなんだな~なんて感じながらの鑑賞となりました。
P.S. 役所広司は以前にに「山本五十六」を演じ、本作では「阿南陸軍大臣」。両方とも悲劇の人物ですが、気づけば役所さんは戦争ものには必須の役者になりつつあります。私的には「山本五十六」のほうが似合っていたような気がするのですが、どうでしょうか?この辺も両方の作品を観た方の感想を聞いてみたいところです。
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シネ丸 (水曜日, 23 9月 2015 20:24)
1967年岡本喜八監督の「日本の一番長い日」では阿南陸軍大臣を三船敏郎が演じており、そのイメージが強く役所広司がどうだったのかよくわかりません。 でもどんな役を演じても個性を際立たせながら、その人物を表現している役者はそうそういないと思います。
この作品は英語題名が「天皇の8月」であるように、原田監督が陛下を主人公にしたかったのが明白であり国民の悲劇に目を向けていないのが最大の欠点ではないでしょうか。
四季のこころ (水曜日, 21 10月 2015 10:39)
確かに天皇陛下を主人公とするには、残念ながらまだ日本の文化や思想は成熟していないかもしれません。
日本にもいつか「英国王のスピーチ」のような映画が自然に表現される時代がくるといいですね。
tomiyasu motoharu (金曜日, 04 3月 2016 08:49)
岡本喜八監督の1967年のモノクロ制作は以前80年代だったでしょうか。みたことはありました。ながかったですが、見ごたえありました。自宅のテレビでみたのかな。こんなに手に汗にぎるというのを自宅のまだ画面が20型くらいのテレビでみたのは初めだった気がしております。