またひとつの結果がでましたね。2014年ブラジル大会準決勝第一戦、ブラジルvsドイツ。結果は1-7。ブラジルのワールドカップ歴史上かつてなかった屈辱的な大敗です。しかも自国大会において。かつて自国大会決勝でウルグアイに一敗地に塗れたマラカナンの悲劇も吹っ飛ぶほどの屈辱的な敗北です。
しかし極東のいちサッカーバカにとっては、それほど番狂わせという感じでもなかったです。なぜなら初戦のクロアチア戦にしても薄氷の勝利(このブログでも書きました)でしたし、グループリーグの次戦メキシコ戦は0-0のドロー。決勝トーナメント一回戦チリ戦は1-1の末のPK戦での息切れ切れの勝ち上がり。今大会ブラジル唯一のすっきりした勝利は八百長疑惑が取りざたされる、相変わらず分裂状態のカメルーン戦のみ。
そして世界中のサッカーファンの期待をもって迎えた準々決勝コロンビア戦。この一戦はブラジル絶体絶命の危機でした。明らかに今大会においてはコロンビアのほうが洗練されファンタジックな攻撃的サッカーを見せていましたから。正直、ネイマールよりもロドリゲスのほうが魅力的なプレーを表現していました。その対策としてブラジルが打ってきた手は、らしくない激しいからだの当たりを前面に出した奇策。試合開始からコロンビアのエース・ロドリゲスに対して、あえて複数の人をかけファウルを厭わぬ激しい当たりで取り囲み、試合全体を荒れた肉弾戦とし、冷静さを失ったコロンビアを洗練からは程遠い戦乱の土俵に引きずり落とし、まんまと2-1で勝利しました。しかし、ラフな試合に自ら持ち込んだ代償は大きく、コロンビアディフェンダーの激しいバックチャージによってエース・ネイマールを骨折で失うはめに陥りました。
要はここまでの勝ち上がりはかなり地元開催を利用した老練な勝ち方が多く、かつてのブラジルの有無を言わせない、魅力的なサッカーは影を潜めていたのです。
準決勝のドイツ戦にしても、ドイツのほうが強いんだろうな~というのは勝ち上がり方を観ても明らかでしたが、それでもブラジルにとっては地元開催のワールドカップであり、コロンビア戦同様なにがなんでも勝ちにくるブラジルを想像していました。そしてこの難敵ドイツを破れば、決勝はなんとかいけるだろうという雰囲気があってのこの世紀の一戦となりました。
しかし、始まってびっくりしたのはドイツの愚直ながら確実に前へ進める軽快なパス回しに翻弄され、あわせてゴール前では強いからだを持つドイツ攻撃陣にいいように複数のディフェンダーが引きずられ、結果空いたペナルティエリア後ろのスペースからの強烈なシュートを何本も確実に爆撃され、あれよあれよという間(たったの6分でした)に4点を奪われたのです。前半終わってなんと0-5。これがなにかの間違いでないことは後半にもさらに2点を追加され、点差を開かれたことが証明しています。
この試合結果をネイマールや出場停止だったキャプテンの不在を原因と考える人もいるとは思いますが、それは違うと思います。彼らがいたとしても大勢に影響がなかったのではないでしょうか?(スコアは1-3ぐらいのもう少し控えめになっていたとは思いますが)はっきりいうと、ネイマールに対してのワールドカップでの持ち上げられ方はややトゥーマッチでした。ネイマールは他国のメッシやロナウド、ロッベン、ミュラー、ロドリゲスらにその実力では劣るとも勝らずというところが妥当なところだと思います(ネイマール称賛一辺倒のメディアの論調のなかで、このことを指摘するのはなかなか勇気がいり裸の王様を指摘した少年の心境になります)。これは、ネイマールの所属クラブFCバルセロナにおいても、あくまで主軸はメッシで、ネイマールはシャビなどその他大勢に甘んじていいることも一つの証左になると思います。さらにいうと、かつての王国ブラジルは控えチーム(今大会の準レギュラーだったフッキなどはかつてのブラジルなら完全に控えのレベルですよね)が出てきてもワールドカップでも準決勝ぐらいには来るのではないか?という層の厚さで、人材の宝庫を誇っていましたが、もうそれも現代においては幻想であるわけです。
今朝のこの地元での伝説的な大敗北はカナリア・セレソン(ブラジル代表の愛称です)伝説の終焉であり、もうブラジルも強国ではあるものの、かつてのほっておいても才能がどんどん出現するような国ではなくなったということを改めて思い知らされ、この試合を観た方はその歴史を目撃したのです。それでもブラジルはこのあとどんな復活を見せてくれるのか、期待せざるをえません。
そして勝者ドイツ。今日のドイツの闘い方は日本にもたいへん参考になるのではないでしょうか。おもしろいようにペナルティエリアの後ろに敵のいないスペースができており、ここから弾丸のようなシュートをブラジルゴールにバカバカとお見舞いしていましたね。ブラジル相手でもこんな簡単にゴールが決まるのなら日本もマネすればいいという意見も当然出るとは思いますが、これまでの日本代表には試合中このスペースを与えてもらえません。ではなぜドイツにはできるのか?というと、ドイツのFWたちはペナルティエリア内でもフィールドでもスピード豊かにドリブルを絡め、自ら単独で敵ディフェンダーを切り裂いてゆくので、敵はそれに対応すべくある程度その人物(ミュラーのような)に守備の人数をかけなけらばならないのです。そうなると、その少し手前の空間には当然守備の人数をかけれず、攻撃のスペースができるというわけです。そこにパスすればノーマークで味方にわたり、ややゴールから離れたエリアからの強烈なミドルシュート!!まるで至近距離から撃っているいるかのようなスピードとコントロール。この力強いキック力も日本は今後見習う必要性がありそうです。(これは「日本×ギリシャ」のブログでも指摘したとおりです)
日本ではかつてもいまも、ボールを持ちすぎて敵に奪われると「なぜパスをしなかった!わがままなプレーはするな!」と強い批判にさらされる傾向があります。わたしも小学生時代によく言われました。そして無理をせずに横や後ろにパス。コーチは「それでいいんだ」と言い、無理に勝負にいかずパスを出したことを褒めてくれます。しかしこれでは結局、敵も同じ人数なのでマークははずれません。これまで日本はそこをクリエイティブなスルーパスで相手の裏をとれば数的優位が作れるのでそれでいいという発想だったと思うのですが、これだとそういうパスができる創造的なパッサーが常に必要となります。今大会でいえば本田がその存在だったのですが、彼が不調になるとまったく機能しないのは観ての通りです。そしてドイツにはそんな創造的なパスを操る人はいません。しかし一対一のマッチアップに勝ち、確実に前へ押し出していくシンプルなサッカー。その奇をてらわない明快で論理的にボールを押し上げていくパス回しは、まるでドイツの生んだバロックや論理学のようです。そしていつの時代も誰が代表になってもそこそこ強い。結果、4大会連続の準決勝進出。
わたしにしてもサッカーファンとして、創造的パスをするファンタジスタは大好きであり、かつてはイタリアのロベルト・バッジオやジーコを称賛し、今でも好きなのですが、日本代表でこうした戦法に固執することには限界があり、アクロバティックな面がどうしてもついてまわり、本大会でも不安定な戦いぶりになります。バッジオもジーコもそうですが、優勝の栄光には至りませんでした。ワールドカップで勝ち抜くには、創造面では劣っても、一対一、もしくは複数に囲まれてもなんとかそれを突破していく勇気と覚悟を若いころから培い、特段創造的でアクロバティックなことをしなくても、ドイツのようにゴール前で普通に数的優位を作れる闘い方を、日本代表に将来目指してもらいたな~なんて思ったりしました。(そのうえで創造的なファンタジスタがいればいうことないのですが・・・笑)
一方ではドイツにバロックや論理学や哲学があるなら、勝つことだけをすべてとは考えないような方丈記、徒然草、平家物語、源氏物語などを代表とする独特な文学や価値観、美学が我が国にはあり、その美学を儚くも貫き、それで負けても悔いなしという考え方もあり、まあそれもいいか~とも思ったりもする自分がいるから困ったものです(笑)。