四季のこころクリニックは、平成25年4月、東広島市西条町御薗宇において開院した心療内科、漢方内科、精神科を専門としたクリニックです。
当クリニックでは、複雑になりつつある社会のなかで心身のバランスの乱れを機に生じた心と体のさまざまな症状に対して適切な専門的かつ医学的知見に基づいた治療を常に提供します。
日常の生活リズムの崩れから起こりやすい不眠症や頭痛、気分の沈み込み、疲労感の持続、子育ての場面や仕事場や家庭における不安感や焦燥感(いらいら感)の高まり,思春期のこころの健康相談、働き盛りの方のストレスをきっかけにしたうつ病、適応障害、心身症,今までのつらい体験などを契機とすることが多い不安障害、パニック障害、身体表現性障害、強迫性障害から、物忘れを中心とした認知症のお年寄りまでと、幅広く老若男女、世代を超え、思春期の方からお年寄りまで、こころやストレスの問題から発生するさまざまな問題を相談できる、元気で親しみの持てるクリニックを目指していますので、気軽にこころやからだの変調や悩みを相談してください。
クリニックの基本方針としては、保険医療機関ですので、こころの診療とともに、適切なお薬の処方ということがまず手始めの治療の選択肢となります。もちろん、必要最低限の処方を心がけ、症状やご希望によっては、より副作用の少ない漢方薬を処方する場合も多々あります。 最近のお薬の進歩はめざましく、副作用もかつてに比べれば少なくなり、少量飲んだだけでこころやからだや気分の変調が快方に向かうというこころやからだのビタミン剤のようなよいお薬も開発され、わたしが医師になりたての頃はなかなか治らなかったこころやからだの病や症状が早期に治癒寛解することが多くなりました。「素晴らしい時代になった」とひとりの医師としてしみじみ思ったりすることもあります。そしてわたし自身が実感するこうした医療の進歩の実りを、日々さまざまな症状に困られているみなさんの快復につなげたいと思い、日々の診療に誠心誠意取り組んでいます。
その一方ですべてをお薬で解決するという考えはとらず、十分にみなさんのお話をお聞きしたうえで、症状によっては薬物療法を避け、ストレスの捉え方の工夫をはじめとした精神療法やストレスを克服する運動療法、ときには自律神経を整える呼吸法の指導等を織り交ぜながら、症状の改善を目指すこともあります。
四季のこころクリニックでは、必要最低限の適切な薬物療法と精神療法を総合的に組み合わせて、症状に困って来院された方のこころやからだが快方や癒しに向かうよう、常にもっとも効果的な方策をこころがけて診療に取り組んでいきますのでよろしくお願いいたします。
2025年
4月
05日
土
4月に入った春休みに本作をドラえもんやアニメが好きな高校生の娘とともにT-Joy東広島にて鑑賞してきました。
子どもたちのおかげで、長年ドラえもんや名探偵コナンといったアニメーションを観れています。
この年になると、いいおじさんがこれらのアニメにひとりで観に行くのは少し照れがあり、助かっています。
個人的想いですが、元々原作の藤子不二雄先生、それに加えて手塚治虫先生、石森章太郎先生は小学時分からお世話になってきた漫画家三大先生であり、精神的には父親のような存在であります。 また同様に江戸川乱歩、コナンドイルをはじめとした推理小説・SF小説読みまくりの小学生でもあったため、コナンくんは今も楽しんでいます。
本作は例によって不思議な世界(今回は絵画の名画ワールド)を、ドラえもん、のび太、しずかちゃん、スネ夫、ジャイアンの5人組(どらファイブ)たちが冒険し、そこでの出会いや体験のなかで、友情、他者への思いやり、自らのこころの成長を達成していく物語ですが、いつものように楽しく観させてもらいました。
ほのぼの愉快な気分で観終わった後、また来春も上映されるドラえもん映画に子どもと来れたらいいな~と思いながら映画館からフジグランへ繋がるエスカレーターを降りていきました。
2025年
3月
24日
月
本作を桜がもうすぐ咲き始めそうな休診日に地元のT-Joy東広島にて鑑賞してきました。
主演の北村匠くんの虚ろな目のポスターがととも印象的でしたが、物語の展開は虚ろどころか、日本じゅうどこでも似たようなことはありそうなリアルストーリーであり、さまざまな罠にはまっていく主人公の焦りとともに観る者のこころも鷲づかみにするようなリアルでドキドキする作品でした。
本作の魅力は役者さんらの生き生きとした迫真の演技ではないでしょうか? 主演の北村匠くんは言うに及ばず、相手役の河合優美さん、脇ながらラストに意外なキーマンとなる伊藤万理華さん、人間のクズのオーラを纏った竹原ピストルさん、どこにでもいそうな軽薄イケメンキャラながら女性にはモテる毎熊克哉さんらすべてのキャラが強烈に立っており、暗闇のなか、「うん、うん、こんなひといるよね~」との感慨(ほんとはいないのですが・・)を観ながら、彼らの熱のこもった競演を思い切り楽しませてもらいました。
そして物語も登場人物も行き詰まった挙句の果て、ラストのカタストロフィ的展開。とてもカタルシス効果のあるわくわくドキドキするシーンであり、個人的にはこの展開は好みです。 あえて言えば、お隣の国の数年前のアカデミー賞作品にインスパイアされてはいるのですが、まあそれはご愛敬ということで・・・。
いずれにせよ本作は、映画ならではのハラハラドキドキ、それでいてこの社会の本質的問題について否応なしに思い巡らさせられる素敵な作品になっており、映画の醍醐味を再確認させてもらい見逃さなくてよかった~と思わされる作品でした。
P.S.かつての「悪い人」もそうでしたが、「悪」の字が題目に入った作品というのは味のある作品が多いですよね。
2025年
3月
10日
月
待望の本作を休日の午後に広島市内の名画館「サロンシネマ」にて鑑賞してきました。 今回は久々に個人的にこだわりのあるボブディランに関わる長話になります。
残念ながらボブディランにあまり興味のない方は一体なにを書いているのかチンプンカンプンな箇所が多々あるのでそこは読み飛ばしてくださいね。
さてわたしはクリニック開業以来、本ブログ「季節のささやき」において実際に映画館で体験した作品に対する所感を綴るようにしています。 そのせいか一番好きな表現形態は映画であると思われることが多いです。
ひとのこころに触れる仕事を生業にしており、日頃から人間の魂や自然の美などによるさまざまな表現や芸術を体験するよう心がけており、映画もその表現コンテンツのひとつであり、好きな表現であることは間違いなく、日々なるべく多くの映画作品を劇場体験するよう心がけているのですが、実は一番好きな表現方法は「音楽」なのです。(ちなみに現在のところ二番目が文学で、三番目が建築、四番目が漫画(アニメーションも含む)、五番目が温泉??、その次が映画、またその次が絵画・・という感じです)
しかし「音楽」といってもさまざまな表現形態があります。思いつくままに挙げても、ロック、クラシック、フォーク、ブルース、ジャズ、コンテンポラリー、ポップス、歌謡曲、演歌、浪曲、雅楽・・ときりがないほどですが、どれもそれぞれの歴史や表現があります。 個人的にはわかりやすいメロディとこころに大きな吸着力のあるポップスやロックに心奪われた時期が長く「あらゆる表現は広い意味でポップかつビートを伴わなければ多くのひとのこころのドアを叩かない・・」なんて若いころには友人らと語り合っていたほどです。
それでもロックのなかで10代の頃から個人的に最も熱を上げてきた洋楽三大アーティスト(三銃士?)を挙げれば迷いなく1.ビートルズ、2.バーズ、3.ボブディランです。
実はディランをロックに入れるのは本人に怒られるかもしれません。彼の音楽はフォークとかロック、フォークロックというジャンルや型に収めることは不可能であり、あえて言えば、「怪しくもキラキラと流れる水銀のごとくきらめきを放つオリジナル・ソウル・ミュージック」です。
そんなディランの最初期をモチーフに制作されたのが本作であり、観に行かないわけにはいかない作品でした。
ちなみに洋楽の話がでたついでに、邦楽のフェイバリットを挙げれば、きれいに三銃士というのは難しく、さまざまなひとやバンドに影響を受けました。 ざっと生ライブを経験した通算回数順にあげると、佐野元春、ブルーハーツ(ハイロウズ、クロマニョンズも含む)、サニーデイサービス(曾我部恵一ソロも含む)、エコーズ(辻仁成ソロも含む)、尾崎豊、くるり、つじあやの、ユニコーン(奥田民生ソロも含む)、ブランキージェットシティ(浅井健一ソロも含む)、ドラゴンアッシュ、HY、ジュン・スカイ・ウォーカーズ、RCサクセション(忌野清志郎ソロを含む)、浜田省吾、中島みゆき、さだまさし(グレープも含む)、松任谷由実、シオン・・等々のアーティストに大きな影響を受けました・・。 すみません、若い方にはあまり知らない人ばかりでなかにはすでに亡くなられているひともいますが、人生の大切なときに音楽や言葉、そのライブパフォーマンスを通してさまざまな示唆を与えてもらった感謝すべきひとたちです。
それにしても思えばわたしもいろいろな人のライブに飽きもせず通ったものです。 とくに佐野さんなどは今年も2回はライブ(デビュー45周年記念ツアー)に行く予定であり、通算ライブ回数は20回に届くほどです。
閑話休題。 本作は、彼が故郷ヒビング( 本当は在学していたミネソタ大学のあるミネアポリスからとすべきですが、おそらくディランの意向で修正されています。大学生だったという過去を抹消し、流離い続けたホーボーとしてのイメージを強調したかったのでしょう )からニューヨークに出てきて、まったくの「名もなき者」から「名の有る者」になるまでの物語です。 伝説となったニューポート・フォーク・フェスティバルでの大音響バンド事件がラストシーンとなります。
その音楽とともに何冊もの伝記を読み漁って来たディラン・フリークにとっては、時系列や事実関係が劇的に改変されていることは明々白々です。 例えば,ディランが映画の前半ニューヨークに着いた早々にハンチントン舞踏病で闘病生活だったウディ・ガスリーの病室での初対面でいきなり「ウディに捧げる曲」をピート・シーガー同席のもと歌い上げる場面・・、ニューポートにてスージーを泣かし会場から去らせてしまう曲は劇中では「俺じゃないんだ」でしたが、実際はバエズの皮肉たっぷりなMCの後に歌いあげる「くよくよするなよ」であった事実・・等々、事実や時系列関係に基づけばさまざまなフィクションに満ち溢れており、つっこみどころ満載の本作ですが、もちろんそんなのはまったく問題なしです。
ディラン自身、当時自分の生まれた場所以外の経歴をすべて詐称していたことはファンならば常識であり、はっきり言ってしまえば、いまに至るまで「ボブディラン」という虚構(ペルソナを伴うイメージ)を強い意志をもって生きている存在と言えます。 加えて本作自体、脚本制作の段階からディラン自身が関わっているとのことですから、事実改変は本人公認なわけでこれで完全に「イッツオーライト・マ」なのです。
その改変のおかげもあり、ディランのファンでなくとも、無名の青年が抜群の才能を発揮しながら人々のこころに浸透していかに名声を勝ち得ていくか、その過程で運命的とも言えた女性(スージー・ロトロのことですが、劇中ではシルヴィーと改名されていました。本作における彼女との悲恋はディラン側からの視点のみであり、おそらくさまざまな要素があるはずであり、それら片面の事実表現に対して彼女からの使用許可が得れなかったということなのでしょう)ともすれ違い、その心情を作曲に反映させた結果、名曲「くよくよするなよ」「俺じゃないんだ」「スペイン革のブーツ」(本曲は日本の名作「木綿のハンカチーフ」の詩のモチーフとなっています)が生まれていき、スージーとの奇跡のような共鳴( 家族ぐるみで社会問題に取り組んでいた彼女との交際がなければ「風に吹かれて」「戦争の親玉」「激しい雨」などの名曲も生まれなかったのではないいでしょうか? )とすれ違い( 「くよくよするなよ」の歌詞にある「僕は彼女にこころ(My Heart)を捧げたけれど、彼女はぼくの魂(My Soul)を欲しがった・・」とのくだりはふたりの関係が切ない別れに向かう必然性を巧みに表現しており、ディランの詩作がこころに染みます )、そしてジョーン・バエズによる横恋慕が絡み合いながら、素晴らしい作品が生まれていくという過程が劇的に生々しく表現されていました。
そして何と言っても一番の見どころです。 この当時のディランはさぞかしセクシーで切れがあり惚れ惚れするほどカッコよかっただろう・・と想像できるのですが、それを見事に演じたティモシー・シャラメが音(すべて彼自身による実演奏であり、習得に数年要したそうです)も姿、身のこなしもリアルに表現しており、生々しくセクシーすぎてまいりました。
当時のドキュメントとして「ドント・ルック・バック」「ノー・ディレクション・ホーム」が残されわたしも目にしたことがあるのですが、何分にもモノクロであり、現代の4Kカメラで色彩豊かに精細に生き生きと描かれるディランの映像と音楽は想像以上にリアルであり、芸術的神話を実際に生で観ているような気分にさせられました。 いろいろな要素が本作には満載なのですが、やはりこれこそが本作の一番の醍醐味ということは言うまでもありません。
またディランとファンとの共鳴と確執の歴史的舞台となったニューポート・フェスティバルの会場( 既存のビデオはモノクロであり、ステージで歌うディランしか観れません )がカラーで舞台裏も含めて当時の雰囲気をリアルに立体的に表現されていたのがファンにひとりとしてうれしかったです。
そしてなんと言ってもラスト「転がる石のように」を聴衆に対して詩そのままの心境と勢いをもってバンドをバックに大音響演奏した後に再び登壇し、弾き語りで「すべては完全に終わりだ」を唄うディランの恰好良さと言ったらもうたまりません。 これを大画面のスクリーンで大音響で聴けただけでもう大満足ですが、他のあらゆる場面においても劇中の場面や歌世界とのシンクロが素晴らしく、マンゴールド監督の力量と感性に感謝です。 最近多くなった音楽家映画のなかでも出色で出来ではないでしょうか?
また今回は弾き語りフォークからバンドを伴うロックへと変貌していく過程をフォークの先導者、ピート・シーガー(バーズの名作「ターン・ターン・ターン」の作詞作曲者です)をフューチャーして表現しましたが、マネージャーのグロスマンやビート詩人のアレン・ギンズバーグ、グリニッジ・ヴィレッジの仲間ら、そして初期の芸術的かつ思想的ミューズと言えるスージーの視点からでも切り取ることもできましたが、あえて潔くピートに絞ったのも物語の展開を明快にしたように思われました。 いつか「グリニッジ・ヴィレッジの青春」という感じでこの奥深い人間関係やディランの成長していく過程、恋愛も含む数ある出会いと別れの展開も物語化できたらなんと素晴らしいことかと思いました。
一方でこの後に妻となるサラ(なんとスージーの姉からの紹介です)との出会い、運命的なバイク事故(ビートたけしの全盛時にもバイク事故がありました)による隠遁生活、ザ・バンドとのウッドストックでの音楽生活( ここから「われ解放されたし」「マイティ・クイン」「怒りの涙」「サンタ・フェ」等々・・無数の佳曲が生まれています )などに光が当てられたら・・・なんて絶対不可能であろうと言える夢のイメージまでこころに沸かしてしまいました。
望みと夢想は尽きませんが、何はともあれ本作をぜひここ東広島で上映されたら、地元の広大生をはじめとした若き「名もなき者」たちとの迎合の結果、彼らには素敵な映像&音楽体験とともにこれからの未来を生き抜いていく野望や夢、霊感が湧くこと必定であり、ぜひともいつか上映してほしいところです。
わたしも本作に刺激されて、ディランの作品や伝記と再び向かい合う日々がしばらくは続きます。 こうしてディラン道は果てしなく続くわけですが、この先も楽しい道程になりそうで、心ゆくまでゆっくりゆったりゆるやかに探求していきたいと思います。
2025年
2月
28日
金
本作を2月の休日、肌も凍る寒い午後にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。
「花束みたいな恋をした」「怪物」の坂元裕二さん脚本のSF恋愛ものです。坂本さんはセリフの内容も素敵ですが、ひとの微妙な間を表現するのがうまい脚本家であり、今回の新作も楽しみにしていました。
15年前に運命的な出会いで、劇的に結婚したものの、その後子どもに恵まれることもなく、お互いの生き方を尊重するあまり、ぶつかりあったり、すれ違いの時間が多くなり、離婚も考えるほど冷え切った関係に至っていたふたり。
そんなふたりにある日夫の事故死が訪れます。夫を失ったことにより、やっと大事なものに気づいた妻の想いが天に届いたのか、なんとふたりが出会う前の15年前にタイムスリップをして再度出会いなおしふたりの関係を良いものにすべく再構築していく物語です。
過去の教訓もあり、ふたりの仲違いやすれ違いはもう起こらず、よい関係を築いていきます。 そしてあっという間に15年の月日がたち再び運命の日が訪れます。 夫はその運命を知りながらそれに逆らうことなく淡々と死を受け入れていきますが、以前と異なるのはふたりにとって運命への準備ができており、夫は密かに素敵なプレゼントと隠し手紙を用意していました。 この手紙が想像上の声により朗読されるラストはその内容とともに自然に泣けてきます。
こんな切なくも夢もある物語が光の陰影を強調した淡さと儚さがゆらゆらと漂う映像とこころのあやを刻み取るかのような印象的な対話によって構成されています。 例によって坂元脚本らしくセリフが印象的です。例えば「恋愛感情と靴下の片方がいつかなくなります」とか「結婚したらいやなところが4Kみたいにくっきりとしてくる・・」といった毒もありながら真実を切り取るような名セリフが目白押しです。
それでも同じ坂元裕二さん脚本作品なら、わたしにとっては「花束みたいな恋をした」の方が個人的体験にシンクロしており、感情移入が強い分さらに素晴らしかったかなとは思いました。 しかし主演の松たかこさんと松村北斗くんがスクリーンに映えて物語に似合い過ぎていたことが本作の価値を押し上げているような気がしました。
最後にタイムスリップによってふたりの別れという結末は変更することができなかったけれど、そこに至る過程を劇的に良いものに変えることができたふたりがそこにいることによって、こころのなかに一筋の涼風が吹き抜けていくような作品でした。
2025年
2月
14日
金
本作を寒波到来中の寒い2月の休日にT-Joy東広島にて鑑賞してきました。
最近少しずつ再興しつつあり、傑作も現われている時代劇ものです。舞台は室町。ちょうど京都を焼き尽くしてしまう戦乱の幕開け・応仁の乱の勃発寸前の京周辺を舞台に、武士でありながら、史上初の民衆一揆を率いたと伝わる蓮田兵衛という無頼漢を主人公にした時代活劇です。
主人公を演ずるのがいまやすっかり名優の仲間入りをしつつある大泉洋。 さすがの演技でした。 そして夢のような戦闘力を身に着けて大活躍をする弟子の才蔵。 さらにいまや体制派の犬となった敵でもありかつての親友でもある骨川道賢・・。 これらのキャラが立っています。主人公の無頼漢が、こんな煌びやかで魅力的な登場人物とともに、室町の荒廃した世界を背景に、義理と人情に生きる侍たちの心躍るような活躍する物語を大画面いっぱいに堪能させてもらいました。
ところで本作の主人公に接することで否応なしに思い出したのは、少年時代に愛読した漫画「北斗の拳」に登場する、南斗五車星のひとり「雲のジュウザ」です。 彼の生きざまや思想と兵衛のそれはほぼシンクロしており、自然に懐かしい想いとともに「ジュウザ」を思い出しました。
わたしもかつて「ジュウザ」のように無頼に自由に生きたいとの想いを強く持っていました。 そんな自分が時を経ていまは地域に根付いた町医者をしているわけです。 それが無頼であり自由であるかは意見の分かれるところですが、心意気は常に天衣無縫・自由かつ無頼で行こうと思って歩んできました。 本作によってそんな思いを再度確認しながら帰路に着きました。